戦国時代、甲斐の国と駿河の国の国境に位置した白鳥山にて、戦が行われたといわれます。
天文4年、武田信虎公が甲斐の国を納めていたころ、駿河を収めていた今川氏輝公と駿河の地をめぐっての合戦がありました(万沢口の合戦)。 白鳥山山頂からの眺めは、駿河の国を見れば富士山から駿河湾まで、甲斐の国を見れば富士川とそれを挟む山々と、まさしく一望できるため、武田氏から見れば駿河の監視にはもってこいの山ですし、今川氏から見れば、甲斐の様子を伺うにはうってつけの山であるため、この山を押さえることは軍事上、最重要項目となっていたようです。
信虎公はこの合戦の後に白鳥山に砦を築き、駿河の国の様子を監視すると共に、異変が起こったときに甲斐府中(甲府)へ情報を伝令するための狼煙台を設置しました。 また、白鳥山の麓に万沢氏という一族を立ち上げさせ、穴山氏の家臣とし、国境を警備させると共に駿州往還(河内路、現在のみのぶ道=国道52号線の一部)の宿駅機能を持たせたとも伝えられています。
白鳥山には、陣場、馬の背、太鼓、打場、千駄窪、搦め手沢など要害に関連した地名も残されており、山頂を軸に五段の削平地など、城郭としての跡が残され、当時の石垣や灯篭なども発見されています。
また、築城に関してや、万沢氏については諸説あり、今川氏との合戦の前に築城されたとも、また、元々万沢の地を収めていた万沢氏に警備の任を与えたなど、様々な討論が交わされていますが、いずれにしても白鳥山や麓である万沢の地が、国境の要所となっていたことは間違いなさそうです。